テーマ:母校のあゆみ

「母校のあゆみ」 その5(最終)

連載してきました「母校のあゆみ」は、その5が最終です。 平成12年3月12日(西暦2000年) 第82回卒業生をもって、添牛内小学校88年の歴史に別れを遂げました。  中学校の統合問題がこの校下にも切迫し、昭和56年の春にアンケート調査が行われた。4月19日の授業参観のあと、PTAの総会が開かれアンケートの集計結果が報告され…
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「母校のあゆみ」 その4

戦後の昭和20年から、昭和52年(添小85.添中30開校記念式典)まで、32年間の「母校のあゆみ」に進みます。  終戦の昭和20年、母校の教壇に立ったばかりの真嶋雄一は、盆休みを利用した宿泊軍事教練に集まっていた青年学校の生徒たちと、8月15日正午からの玉音放送を、教員室前の窓の下に整列して待った。学校の買ったばかりのラジオも…
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「母校のあゆみ」 その3

昭和4年、2校が合併してからの「母校のあゆみ」に進みますが、昭和13年8月26日、母校歴上特筆すべき水難事故が起きました。               平成24年年9月 撮影  2校が合併した翌昭和5年に校舎の全面改築を行い、11月30日に5教室と教員室が整った。尋常科4学級、高等科1学年の編成で、児童数は265人を擁した。…
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「母校のあゆみ」その2

その1では、雨竜川西岸、添牛内(御料地)側から、母校のあゆみを見て来ましたが、その2では、 雨竜川東岸の大学8号側の学校にふれたいと思います。            北星小学校第8回生と下級生(大正10年)  対岸の添牛内の方から一緒に学校を建てないかと相談があったが、村が違い(一巳村・北竜村)渡船による交通などの状況から断…
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「母校のあゆみ」その1

平成28年1月7日、「添牛内複式学校生徒」さまから,教材「わたしたちの郷土添牛内」についてのコメント書き込みに接し、我が「母校のあゆみ」を、今一度詳しく調べてみる事にしました。               昭和5年 全面改築をした校舎 『わたしたちの郷土添牛内』  色々と情報ありがとうございます。知らないことがわか…
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