「ドライブ」親の育った故郷へ

添牛内小学校の写真検索をしていて見つけたブログからご紹介します。
6年前のブログ書き込み、少々時間が経過していますが、昭和20年以前の添牛内の様子が綴られていて興味深いものがあります。
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私の父は、夕張で生まれました。
小さい頃、じぃちゃんの仕事の都合で自分の生まれた、幌加内町 添牛内(そえうしない)と言う、集落へ、引越ししたそうです。
とにかく、冬は雪が多くて、11月に1階の窓に雪で窓のガラスが、破れぬよう、板を打ち付けた、そうです。
家の中から窓の上の方を歩く、通行人の長靴が見えたそうです。
その気になったら、電線に触れるくらい、だったそうです。
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じぃちゃんは「木こり仕事」であっちの山、こっちの山と出稼ぎが、多かったそうです。

ばぁちゃんは、近所の農作業の手伝いをしていたそうです。
春は「田植え」 夏は「草取り」秋は「芋ほり」だったそうです。

特に秋は猫の手も借りたい時期父も小学校の頃から、学校を1ヶ月も休み、「芋ひろい」の仕事を子供ながら、半人前のお金を稼いだそうです。

昭和20年 ばぁちゃんが「使われるのはもう、いやだ!貧乏でも、自分の土地を持ちたい。」と今度は、ばぁちゃんの生まれた、今の住所に引越して来ました。

ばぁちゃんは自分の兄弟がいたので、何とか、猫の額の土地からこつこつ、じぃちゃん、ばぁちゃん そして、父も母も私たち、兄弟、皆がんばり、今の実家になりました。

父は80歳 母は79歳最近がもう、すっかり歳を取りました。

昨年の秋頃から、いつ何はあるか解らないな~・・・と思うようになり、今まで、私達、子供皆、自分の事で精一杯。

昔から「俺の育った、田舎をお前たちに見せたいな」と、言ってた言葉を思い出し、皆でどこにも、行った事が無いので「父の育った、土地を見に行こう」 と、今日、1日、父・母・姉・私・弟と5人で
幌加内町 添牛内に行って来ました。

今は昔の賑わいもなく、静かな、集落でした。
小学校も廃校して、取り壊され、体育館と校門だけ記念の石碑が静かに立っていました。
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小学校の前のお店のおばさんがいて、父が懐かしく話しをしていました。

住んでいた、所を捜しましたが、道路も変わり、わき道が解らず、「確かこの辺かなー・・・」
傍まで、行けませんでしたが、父は満足そうでした。

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帰りに道の駅「ほろかない」で名物のそばを食べてきました。
ごちそうさま!!往復約440キロでした。

5人それぞれ、胸に何かが残った、ドライブでした。

ブログ名「よし婆」 北海道の農家のおばさんの独り言じゃ!
http://blogs.yahoo.co.jp/shinei563

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