五十年小史 その2

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回想  「添牛内校の思い出」
  
齊藤 徳次郎
添牛内小学校2代目校長 
(昭和7年~昭和14年)

 私が添牛内校に赴任したのは昭和7年の9月で添牛内駅が終点でした。景気が良くて街の家も立込んでいました。此の年のうちに、鉄道が朱鞠内まで延びました。それからぽつぽつ朱鞠内に移るお店もありました。
 私は昭和14年の7月までいましたから、足掛け8年間お世話になったことになります。
 何と云っても添牛内は静かな平和な里です。物騒と云えば、たまに熊が畑や路に顔を出したことを耳にしただけです。
 添牛内の春は、雨竜川の氷の切れる轟音から始まります。長い冬も4月23日前後には、きまったように川の氷が切れて轟音を立てて押し流されます。時には氷がつまって街の三分の一が水浸しになったこともあります。それがすむと急に雪が消え出して5月の初旬には無くなります。同時に畑仕事が忙しくなって、高等科の長期欠席が目立ってきます。人で不足は何ともいたし方ありません。
 夏はよいところです。山の緑に囲まれた静かな平地、見渡す限りの馬鈴薯の花、その間をうねって流れる雨竜川、美しい風景が心を落ち着けてくれます。
 秋の眺めもよろしいが馬鈴薯一種の農家はその収穫に忙しいのです。遠方から薯掘りの労働者も多数入り込みました。澱粉工場も活気を呈します。生澱粉を鉄板の上で焼いて食べるのも忘れられない味でした。
 冬の雪の多いのには驚きました。一夜のうちに降った雪に住宅の戸口が埋まって窓からやっと、もぐらの様にはいだしたことがあります。学校では校舎の雪除けに毎日のように努力しました。それでも次から次と積もって窓の外の雪が高くなって太陽の光を採るのに苦労しました。
 外の雪が多いだけに教室ではストーブをたいて児童としんみり語りあうのが楽しみでした。
 雨竜川には魚が沢山いました。主にウグイですが小沢に入ると、ヤマメが釣れました。アカハラが瀬につく頃には面白いほど釣れました。特に秋にかけて川が凍るまで、イトーが釣れました。大きな鱒を餌にして釣るのですが、時には1㍍近くのをあげたと云う人もありました
 私は今、アルバムを手にしています。すました顔をした卒業写真、教室でおとなしく座った姿、学芸会の扮装したもの、運動会での楽しげな面影、その当時のことがそのまま浮かんできます。懐かしいアルバムのお顔、微笑みかけるアルバムのお顔、今ではよいお父さん、お母さんになられたでしょうね。お会いしたい気持ちで一杯です。当時の部落の父兄の方々もお元気でしょうか。
 アルバムの中に特に印象深い写真が一枚あります。故大崎栄子さんのです。「先生これあげます。」と云って下さったものです。栄子さんはそれから間もなく亡くなられました。その時栄子さんは高等科1年でした。
 時は昭和13年8月26日、非常に暑い日でした。支那事変で出征軍人を駅頭で送り、午後受持の歳桃多吉先生に引率されて高等科児童は雨竜川に水泳ぎに出掛けました。日照りが続いて雨竜川は水が少なく、たいていは徒歩出来る程度でした。ところが市街の下手に深いところがあったのです。遊んでいるうちに栄子さんがその深みに流されたのです。歳桃先生は身を挺して泳ぎつき岸に助けあげようとしたが力尽きて栄子さんを抱いたまま、水底に没し去りました。児童達は報を四方に伝えました。校下の人達は救助に懸命の努力をしました。しかし沈んだ場所は水深4㍍以上もあり、しかも流木の下に入り込んだらしく濁って見透がつかず沈んでいる大木引き上げなどし、お二人を引き上げ得るのに4時間余りを要しました。息を吹き返すべくあらゆる努力を続けましたが、その甲斐もありませんでした。前途ある人を失って痛恨に耐えません。
 歳桃多吉先生は、その身は亡びたとはいえ今も崇高な責任感と師弟愛に焼え、魂は生きています。
 雨龍川岸頭に相並ぶ師弟の碑は、後の世まで人の心を照らすことでありましょう。

歳桃多吉先生と大崎栄子さん↓
http://02884095.at.webry.info/201603/article_4.html

出典:添牛内小学校「五十年小史」 昭和37年(1962)7月発行
写真:記念誌「雨竜川」歴代校長から


      添牛内小学校「教育目標」 ●じょうぶな子 ●よく考える子 ●心の豊かな子 ●よく働く子

この記事へのコメント

doraneko-28
2017年10月21日 19:05
斎藤徳次郎校長先生。私が入学した時の校長先生です。
優しい先生でした。あの写真にある通り温顔のそしてお名前の通り徳のある方でした。
それに引き換え、その後に私が卒業するまでに替わった、二人の校長先生は??がいくつも付く感じでしたね。すでに時効になった昔のことなので敢えて言いますが!。どうぞあしからず…。
isao-41
2017年10月22日 04:02
doraneko-28さま

斎藤徳次郎校長先生 お写真から推察し
ダンディー 今流に言うと イケメン
如何でしょうか?

深名線が朱鞠内まで延び 活気のある添牛内
自然豊かな添牛内 当時の情景が 目に映ります 
doraneko-28
2017年10月23日 19:58
isao-41さま

おっしゃる通り 斎藤徳次郎先生はイケメンでしたよ。
それに優しくて考え方も柔軟だったのではないでしょうか。表情や声色豊かに物語を聞かせたり、踊りなんかも教えたりしていたようです。

 なお、添牛内の栄えた時代を懐かしみ、書いた詩を掲示板に載せてみました。

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