五十年小史 その1

記念誌表紙で既にご紹介致しました6冊の記念誌、先ずは昭和37年6月発行、小学校開校50年記念誌『添牛内小学校五十年小史』から抜粋し順次更新致します。
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          写真:昭和36年1月 校舎の雪下ろし

1回目は、当時(昭和37年)の高橋長平校長「開校五十周年記念式典を迎えて」と、杉浦茂協賛会長「記念式典を迎えて」のご挨拶から。

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開校五十周年記念式典を迎えて
             学校長 高橋 長平

 本校が幌加内町において、歴史の古い学校として、ここ開校50周年の記念式典を挙げることを出来ますことは、校下並びに同窓生をはじめとし、この学校に縁のある皆さんと共に心よりお喜び申し上げます。
 その昔、父祖が燃える希望を胸にしめ、ここ北辺原始未踏の地に、辛戦艱難、貴くも若い生命を開拓に打ち込んだことが、今日の添牛内並びに幌加内町発展の因となったことであり、幾多の人々の言外に絶した草創の苦難が、今日を築いたものであります。
 本校は、明治45年7月1日、私立北竜村添牛内教育所として開校されたのでありまして、当時入植者は30数戸で、大密林の間に散在する名のみの集落で、路らしい路もなく、ひねもすを昼尚暗いこの密林にいどんでいた由、人々は生きる戦いを寸暇のゆとりさえ持てぬ時、誠に父祖が不可能と思われることさえ可能にした。幼き者への愛情の深さと、教育という問題に対する熱意には、うたた頭のたれるところであります。
 翌々年(大正3年3月31日)公立雨竜郡上北竜村添牛内教育所として、位置指定、校名指令、創立認可を受領したのであります。
 其の後、年を重ねると共に入植者の戸数が増加し、児童数も漸増、校舎は、元位置で改増築が加えられ、大正7年には、雨竜郡幌加内村添牛内尋常小学校となりました。
 この校舎は、大正11年3月20日の夜、不幸にも火災のため、全焼したのであります。困難に耐えた仮校舎の学習生活が一年半続きまして、大正12年の秋に、新校舎の落成を見た次第であります。
 昭和4年3月31日、高等科を併設して、尋常高等小学校となり、6月31日には、北星尋常小学校を合併いたしまして、尋常科四学級、高等科1学級の編成となり、翌年の昭和5年には、校舎の全面改築の落成を見るに至ったのであります。
 地域の発展と共に、校舎も改増築が加えられ、校名は幾変遷、昭和22年5月1日、新制中学校を併設して今日に及んでいるのであります。
 かくして本校は、ここに50年間、校長の代を代えること11、教師100余、卒業生を生むこと1500余となっています。
 この間、社会情勢には幾多の変遷があり、学校運営もまたその苦難をのり越えて参りましたが、大きな功績をのこし、又、現に貢献しておられるところであります。実に本校が貢献した役割はまた偉大であり、まことに御同慶の極みであります。
 之は、云うまでもなく、家庭、学校、郷土が一体となり、先人が協力砕身した賜ものと、敬仰感謝の念の禁じえないところであります。
 今回、栄誉に輝く開校50周年の慶祝の記念式典を挙行するに当たり、校下部落、PTA、同窓生がこぞって協賛会を設立し、本校が今後一層隆盛発展を遂げるために、生産多忙の折にもかかわらず、物心両面から、多大な御芳志とご尽力を賜り、盛大な式典と数々の行事をのこされます。
 この上は、教師、在校生一丸となり、地域の皆さんをはじめ、先輩の方々の御支援を戴き、輝く歴史と伝統を誇り、益々勉強に励み、立派な人間になるため努力を傾注して、皆さんのご期待にお報いする覚悟であることを申し上げ、ここに深甚の感謝の意を表し、お礼とおよろこびのあいさつといたします。



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記念式典を迎えて
       協賛会長 杉浦 茂

 開校50周年の式典が、校下住民、同窓生一同、其の他関係者の御好意と御協力により、盛大に挙行出来る運びになった事は感謝に堪えない。
 昨年添牛内地区開基50周年を祝い、開拓功労者に対する感謝を捧げたのであったが、今また添牛内小学校の開校50周年を祝うにあたり、再び大きな感激が湧き出ずるのである。
 飢餓と寒さと、更に又、熊の出没とも戦わねばならなかった開拓の初め、掘立て小屋に木の根の薫る炉の灯りで、夕食の箸を取る様な生活が大方の開拓者の、その時代に、部落相計り力を集めて、この学校の礎石を据えられた人々は、何を祈念し、何を願っていたのだろうか。人生に於いても社会に於いても50年は一つの大きなエポックである。学校の歴史に於いてもまた然りである。其の昔、明治の人達に依って打ち立てられた当小学校も、戦争を終えて大きく変貌しつつあるように見える。
 時の流れは刻々止まる処を知らない変化を、生活にも、教育にも、はては倫理道徳にまで及ばしつつあるかに見える。移り変わる世相の中に変わらざるものを求めて止まないのが人類共通の願いであり昔も今も変わらない人間心理である。その意味では三千年の昔、釈迦の時代に花開いた精神文化が、現代に於いても人類の大きな指標であるが如く、五十年前自己の生活の見直しさえ立て得ない時代に、私財労力を捧げて、本校の基礎を築かれた方々の開拓者精神は現在の我々に最も必要なる精神ではないであろうか。ここに私達は明治の人達の願いを、隅の首石(オヤイシ)を据え建築の槌をふるう人達の祈りを理解し得る様に思うのである。健やかに育てよ、学びて正しく生きよと、変化無常の世の中に変わらない愛育の言葉が、今も尚耳許に聞こえる様な気がするのである。
 学舎は古び、部落も沈滞した空気のうちに沈淪しつつある様な現状の中に、子ども達だけは、希望と活気に満ちた躍動を今日も続けている。子ども達こそ、教育こそ無限の可能性をもった未来そのものである。
 私達は厳粛な反省の意味で過去を振り返り、子ども達の未来に嘱望する意味でこの五十年を祝うべきでないであろうか。
 私はここに戦後改められ豁然とした意欲あふれる新教育方式の成功を認めながらも、二三の点を指摘したい。過去の悪弊を咎めるあまり、伝統も国民感情も無視し、過去の総てが悪いというような短見にとらわれていること。戦争中の精神主義の教育を非難するあまり、唯物思想に偏り過ぎる事。保守進歩対立する世相に巻き込まれ、教育の自主性を叫びながら、却つて、みずから拠るべき立場を失いつつある。
 これ等はいずれも戦後急速に採り入れられた、不消化のまま民主主義思想や敗戦の衝撃などから生まれたものであって、終戦直後の混乱時代には已むを得ぬ事であったが、今一歩前進しなければならないこの世代に一考を要すべきでなかろうか。
 民主主義教育は、子ども達の本性が、本来、善であり、美であり、無限の可能性をもっていることの裏付けによって成り立つのであって、それを引き出すなは教師と生徒との全人格的なつながりによってであり、単なるメソッド(方法論)だけではあり得ない。
 天然に恵まれ世塵にまみれる事の少ない本校に於いて、師も弟子も手を取り合い、共に学び、更に先人から受け継いだ開拓者精神を信念とした子ども達が未来の社会に陸続として巣立って行く時、本五十周年記念式の意義もその光彩を、いや増すのでなかろうか。不才、行事の協賛会長を拝命力足らざる点を深くお詫び申し上げると共に、その足らざるを補って余りある大方の御協力に深甚なる感謝を申し上げる次第である。
      添牛内小学校「教育目標」 ●じょうぶな子 ●よく考える子 ●心の豊かな子 ●よく働く子

この記事へのコメント

カムシュペ
2017年02月10日 08:45
雪深い故郷を思い浮かべています。澱粉工場の雪下ろし手伝いみかんを二個もらいうれしかったことをお思い出します。小学生だった私の背の倍以上の雪が屋根に積もっていました。
こちらは夏です。2月8日午後9時30分気温27度晴です。

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