イモ拾い貴重な思い出

平成28年11月6日付、北海道新聞「読者の声」欄から、土田ひとみさま(添小53回生)の寄稿文「イモ拾い貴重な思い出」を、ご紹介致します。

同窓生皆さまの「イモ拾いの思い出」は如何でしょう。育った年代や育った環境によって思い出は少々異なるかも知れません。
先輩方は援農(学徒動員)の思い出であったり、農繁期休校時は農家の小さな担い手として、汗を流した思い出の方もいるのではないでしょうか。実に、実に懐かしい思い出ですね。

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道新情報提供:大友要さま(40回生) 
版画:「イモ拾い」学校文集「添牛内」1969表紙から 提供:イージーライダーさま


  「イモ拾い」貴重な思い出


       主婦 土田 ひとみ 62歳 (札幌市厚別区)

 昔、私の古里である幌加内町添牛内にはジャガイモ畑が多かった。猫の手も借りたいとはこのことで、収穫期には学校が農繁期休校となり、私も友人たちと農家にイモ拾いに行った。針金で編んだかごを持って拾ったジャガイモを、畑に置かれた底のない木箱に入れる。いっぱいになると、箱を持ち上げる。するときれいなイモ山が出来上がる。
 時々「何をにぎやかにしているの?」と地面から顔をのぞかせるモグラが現れ、仕事そっちのけで捕まえようと躍起になる。太陽が山に沈むと、急ぎ自転車で冷たい秋風の中を帰った。子どもながらに、働いた充実感に包まれていた。
 後日届く茶封筒に入ったバイト料はもちろん楽しみだったが、それよりも近所で稼働中のでんぷん工場の限定品を食べられるのがもっと楽しみだった。
 それはでんぷんに精製される前の「生粉」(なまこ)と呼ばれるもので、これをストーブの上で焼いて食べるととてもおいしかった。
 子どもの頃の貴重な経験は、私の骨格の一部である。かれんなジャガイモの花は、今でも私の心に咲き続けている。




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土田ひとみさまの「イモ拾い貴重な思い出」に寄せられた、蓮枝先生(33回生)の短歌です。時代背景を現していると思います。


平成26年6月18日本グログで、学校統合中学校閉校記念誌「早雲内の滝」(昭和59年3月発行)「添牛内を偲ぶ」から、土田ひとみさまの寄稿文「私の青春」をご紹介しておりますが、今一度拝読願います。

 

中学校22回生(小53回)
土田 ひとみ(旧姓佐藤)

『私の青春』

 故郷を離れて、はじめて添牛内の自然の美しさを感じとった私。あの、宝石箱を開けた様な輝く純白の雪。小学校の頃、スキーを滑りながらアイスクリームなどと言っては、友達とよく食べました。春、残雪と萌える緑、青空と、絵本にでてくるような景色。そして、いく日汗ばむ日があったでしょう。その短い夏の雨竜川での水遊び、うぐい釣り、えび、カラス貝取り。ジャガイモの可愛い花、イモ拾い。楽しい事ばかりではありません。厳しい自然。吐く息で髪が白くなったり、鼻の穴がくっついたりするほど寒さ。朝、目をさますと、玄関の戸の半分以上もある雪。中学生の頃、この様な日はいつも、今日は何色の旗立っているかな、なんて布団の中で思っていました。臨休は赤旗、2時間遅れは水色旗、1時間遅れは紫の旗が、地区ごとに数カ所立てられました。そして、吹雪のため小学1年生から中3までの全校での集団下校。

 中学校を卒業後引き続き社会人として、添牛内の学校にお世話になること、なんと11年。就職と同時に、今は亡き恩師「川守田」先生のすすめもあって、通信教育を学ぶ事になりました。仕事の内容もはっきりわからない私が、仕事と通信教育を両立できたことは、職場が学校という恵まれた環境、そして先生方の助けもあったからです。そしてどうにか、4年間で卒業できました。

 子供達と一緒に夢中になて走った運動会、仕事そっちのけに学芸会を見にいったり、放課後のクラブ活動の仲間に入れてもらって運動した事。炊事遠足にもおともさせてもらい子供達と一緒になってはしやいだ事など、たくさんの思い出が脳裏をかすめてゆきます。そうした中、家では、母の病気、水害と大きな出来事に見舞われました。水害は初めての体験で、妹と2人だったこともあり、心細さと恐ろしさで、夜も眠れなったことを覚えています。母が病気になったのは私が17才の時で、家の手伝いなど一切した事のない私にとって、3度の食事作りは大変な事でした。幸い、母も半身不随ですが命をとりとめ、今は父母二人元気に仲良く暮らしております。

 53年の晩秋、人生の最良の日を迎える事が出来ました。主人にとっても添牛内中学校が最初の赴任地であり、そこでめぐり合い、結婚、そして1年間の共稼ぎ・・・と私ども夫婦にとっては終生忘れない添牛内中学校です。

 こうして私は15才から26才までの足かけ11年、私の青春を過ごした添牛内の学校。今、目を閉じると、職員室の様子が鮮明に目に映ってきます。今すぐ職員室に入っても、すんなり仕事につける様な気さえするのです。職員としては大事なお城でした。3月の閉校式に出席出来ない事が、とても残念ですが、心の中の数限りない思い出を、これから何時までも大切にしていきたいと思っています。




「私の青春」土田ひとみ(53回生)記念誌「早雲内の滝」より
http://02884095.at.webry.info/201406/article_11.html
      添牛内小学校「教育目標」 ●じょうぶな子 ●よく考える子 ●心の豊かな子 ●よく働く子

この記事へのコメント

knock44
2017年01月12日 10:02
土田ひとみ様
寄稿文読ませていただきました。
記憶力の悪い私は厳寒期の赤 水色 紫の旗の事は
覚えていませんが「イモ拾い」は特別な思い出です
わが家の前が澱粉工場でしたので
「生粉の味も忘れられません。
茶封筒に入ったバイト料の事は忘れていましたが
言われてみれば薄いペラペラの茶封筒だったかも
知れませんね。
ほんとうに・・・あの頃に戻ってみたいわ!!
小学校44回(札幌市厚別区上野幌在住)

isao-41
2017年01月13日 11:01
knock44さま 
お久し振りです。お元気ですか?
今年も宜しくお願い致します。

(小学生時代)
イモ拾いは結構キツイ作業だったのですが、今思うと兎に角懐かしい。
小さめの生粉をストーブの中に放り込み、真っ黒焦げになった表面部をそぎ落とし、剥がして食べる。
こんな食べ方もありました。おやつ代わりで当時は美味しかった・・・が、いま食べるとはたしてどうでしょう。
taisetu
2017年01月14日 12:54
「イモ拾い」の記事を銅様に差し上げた大友 要(昭和31年卒業)です。北海道新聞読者の声で土田ひとみ様の投稿を拝読し、今年の年賀状に同級生や添牛内をご存知の方々に記事全文を送らせていただきました。
 銅様をはじめ「土田ひとみ」さまをご存知の方から情報を寄せていただきありがとうございました。

 ・・60年前の今頃は鉄路の除雪にとてつもないロータリー車が現れて、大急ぎで学校裏まで見に行ったことなどが蘇ってきます。

 このブログをご覧の皆様のご健勝をお祈りいたします。
isao-41
2017年01月14日 16:11
 管理者の 銅 功 です。

 先日、土田ひとみ(旧姓佐藤)さまとお電話で、道新に寄稿された「イモ拾い貴重な思い出」について、ブログ「添牛内Web同窓会」でご紹介させて頂いた経緯や、ひとみさまが、添牛内小学校にお務め当時毎年発行させていた「学校文集 添牛内」、宇佐美先生作曲の「添牛内慕情」等々、長々とお話をさせて頂きました。
 ひとみさまは、パソコンが苦手のご様子、ご主人にお願いし、多分この更新内容を見て頂いていることと思います。
 ひとみさま懐かしいお話、ありがとうございました。
 大友さま、情報提供、ありがとうございました。

 この添牛内に特化したブログは今後、同窓生皆様の情報提供により「同窓生の広場」的存在として更新したいと思って居ます。
 全国添牛内校卒の皆様、是非ともご協力の程、宜しくお願い申し上げます。

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