「母校のあゆみ」 その3

昭和4年、2校が合併してからの「母校のあゆみ」に進みますが、昭和13年8月26日、母校歴上特筆すべき水難事故が起きました。
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              平成24年年9月 撮影

 2校が合併した翌昭和5年に校舎の全面改築を行い、11月30日に5教室と教員室が整った。尋常科4学級、高等科1学年の編成で、児童数は265人を擁した。その後の児童増は激しく、11年には330人余を数える状況に至り、この年に校舎の西側に2教室を増築している。

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 本校の歴史上、校舎全焼と共に特筆すべき水難事故が昭和13年に発生した。 
 8月26日は暑い日であった。日支事変に応召する出征軍人を、学校の児童たちも駅頭で送った午後、高等科児童が担当の歳桃多吉(さいとう)に引率され、雨竜川へ水泳に出かけた。日照りが続いて川の水が少なく、たいていの所は徒歩できる程度だったが、少し下流に深みがあって1年生の大崎栄子が溺れた。歳桃は身を挺して泳ぎつき、岸に助け上げようとしたが力尽きて、栄子を抱いたまま沈んで見えなくなった。児童たちの報せで下校の人たちが救助にあたった。水深4m以上の場所で、しかも流木の下に入り込み見通しがきかず、沈んでいる大木を引き上げるなどして、2人を救助するまでに4時間余りを要してしまった。前途有為の青年教師と、まだ花も蕾の教え子は帰らぬ人となった。

 この事が新聞等で一般に知れ渡ると、師弟愛を象徴する善行であると讃えられ、葬儀は空知管内の小学校の代表も参列した。空知教育葬の礼をもって執り行われた。歳桃順導の善行はその後全国的に伝わり、各方面から多額の浄財が寄せられた。教育関係者が協議の上、3周忌を期して殉職彰徳碑の建立を決めた。一方、同窓生の間で大崎栄子の碑を並べて建てようとの話が盛り上がり、校下父兄からの拠金を得て、二つの石碑が遭難場所に近い所に建てられた。後年になってこの付近の国道沿いに、町の開基70周年記念塔が建てられた。彰徳碑の高さは2m40㎝ほどで

 表面には
故歳桃順導殉職彰碑   空知支庁長 高尾善次郎
 裏面には
添牛内小学校順導 歳桃多吉君 昭和13年8月26日
水泳指導中持児 大崎栄子ノ溺レルヲ救ワントシ
遂ニ此ノ深渕ニ殉職スル 享年29歳 今三周忌ヲ
迎エルニ当タリ碑ヲ建テ恭敬供養 君ノ芳霊ヲ慰メ其ノ善行ヲ後世ニ伝エル
    昭和16年8月26日    空知国民学校職員
と刻まれている。

 神式による除幕式は3周忌の命日に当たる、昭和16年8月26日に涙雨の降る中、雨竜川畔の碑前に遺族のほか村内はもちろん、空知管内の学校長をはじめ教員組合の代表など、多数が参列し悲しみもあらたに、しめやかに執り行われた。
 
                                   その4に続く

       資料:新幌加内町史より
      添牛内小学校「教育目標」 ●じょうぶな子 ●よく考える子 ●心の豊かな子 ●よく働く子

この記事へのコメント

2016年03月12日 23:07
昭和13年といえばまだダムはなかった。どんな流れだったのだろうか?確かに暑い日には先生に連れられて橋に下で泳いだことがあります。水量が少なく岩盤が見えていました。
kuma-43
2016年03月14日 18:34
僕等が添牛内小学校へ昭和25年4月入学以来職員室前の廊下
kuma-43
2016年03月14日 18:46
添牛内小学校の職員室の前の廊下のところに先生と生徒の殉職された2枚の写真がかかげられていたことを覚えております昭和32年頃は学校の横の橋の手前の雨竜川で泳いだことを覚えておりますよ。
d0raneko-28
2016年03月14日 19:39
 この悲しい水難事故が起きた時、私は4年生だったと思います。
 捜索には消防団員や校下の住民などが多数出ましたが、かなり難航したようです。私が下校する途中でも現場付近を通りましたが、捜索にあたる人の乗った鉄製の小舟が未だに瞼に浮かびます。
 歳桃多吉先生は父兄からの信頼も厚く、児童にも優しく依怙贔屓しない先生でした。とても達筆で日曜学校で書道を教えていただいたこともありました。
 昭和11年、陸軍北海道大演習があり、私たちの担任の先生が数か月臨時に召集されて演習に参加して不在になり、その間歳桃先生が受け持つ学級に加わったことがありました。私は2年生でしたが、鉛筆削り用のナイフを隣の席の級友に壊されて困っていたところに気付かれて、先生のナイフをいただいたことを覚えています。
isao-41
2016年03月15日 16:12
 doraneko-28先輩のコメント、歳桃先生の授業を受けたこと、鉛筆削り用ナイフを頂いたエピソード等々、ありがとうございました。

 私は、昭和16年生まれなので、悲しい歳桃先生・大崎さんの水難事故を知る由もありませんが、昭和21年8月、この水難場所と同じところで、もう一人、女子小学生が溺死して居ります。

 この年はお盆を過ぎても炎暑続き、十数人が雨竜川の浅瀬で水遊びをしていたときの事、足を滑らせた小学生が川の深みに呑みこまれ、見えなくなりました。
 近くにいた兄と大人数人が捜索にあたり、数分後に救助し救命措置を施しましたが、その甲斐もなく帰らぬ人となりました。

 実は、この溺死した女子小学生は、私の4歳うえの姉で、この時私も、川岸の窪みに水が貯まって温かくなった小さなプール場の様な所で、水遊びをしていたのです。

 とてもとても悲しい出来事でした。
 とっても優しい姉でした。

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