『雨竜館』

昭和15年頃、添牛内新市街「阿部旅館」の2軒隣に『雨竜館』と言う旅館が在りましたが、ご存知の方はいませんか?

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        添牛内駅前の写真 提供:吉田文彦様(ブラジル在住)

10月中旬、札幌市内にお住まいの「大館孝寿」様から「雨竜館」に関し、お問い合わせがありました。
静岡の蓮枝先生、札幌の滝谷先輩、朝霞の従兄弟、大宮の椎名君(阿部旅館の前に住んで居た同級生)等々記憶を辿って頂きましたが、覚えている方は残念ながら今のところ居ません。
そこれ、お問い合わせのあったメール内容全文を、ご紹介致しますので、ご協力を頂けないでしょうか。


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銅 功様

初めてメールさせていただきます。
私は札幌市在住の大館孝寿(56歳)と申します。

実は私の父(大館照雄)は、昭和4年9月生まれ(87歳)で昭和8年(4歳)頃から
昭和15年(11歳)頃まで添牛内に住んでいたと聞いてました。

添牛内小学校に入学したのは昭和11年だと思います。
大崎栄子さんの水難事故の話しもしていたので、少し添牛内の事をインターネットで調べてみようと検索したところ、「添牛内Web同窓会」というすごいサイトに出会い、本当に驚きました。
多くの写真や資料に(特に「昔の添牛内」)父は大感激しております。

そこでなのですが、当時父の家は【雨竜館】という旅館で添付の地図のあたりにあったと言うのです。
↓添付の地図はこのURLの資料を引用させていただきました。
http://02884095.at.webry.info/201310/article_7.html

サイト内をくまなく拝見させていただきましたが、残念ながら【雨竜館】の文字は発見できませんでした。

もし記憶が残っている方や資料が残っている方がいらっしゃれば、とても嬉しく思います。
ただし、当時の事を知っている方がいらっしゃったとしても、父とともにご高齢と思われますので、あまり期待は出来ないと思いますが、サイト内で何卒ご配慮いただければ幸いに存じます。

突然のメールで失礼をお許しください。

大館孝寿






「添牛内だより」(2016.11.26)コメント書き込みから
http://02884095.at.webry.info/201611/article_1.html


 isao-41さま
昔の添牛内の旅館の軒数ですが、私の小学生低学年のころは、駅前付近に三軒ほどあったほか、旧市街にも営業中休業中含めて四軒ほど看板を記憶していますよ。
富田馬具店の向かい辺りに恩田旅館、杉浦商店の西側並び二軒目くらいに越中屋旅館、現在木田さんのお宅がある場所に藤田旅館、添牛内橋から二軒目あたり南側に関口旅館があったように思います。
集落が急成長したのに伴って行商人などが多く訪れたのでしょうね!?。
 doraneko-28
 2016/11/24 15:25


 doraneko-28さま
 初めまして。添牛内だよりとは関係がなくて、誠に申し訳ないのですが、私はisao-41さまに、添牛内駅前付近の「雨竜館」という旅館についてお尋ねしていたものです。
添牛内駅前付近に三軒ほどあったという旅館のうち、「阿部旅館」の2軒くらい隣に「雨竜館」とう旅館の記憶はございませんでしょうか?
 odate
2016/11/26 17:45


odateさま こんにちは。
添牛内に縁のある方が、isao-41さまのブログを通じて逢えるのは、とても嬉しく楽しみです。

 先日、isao-41様からメールでお問い合わせがあり、見落としていて大分遅れてご返事のメールをお送りしたのですが、私は昭和10年の入学で、冬季間の通学路はお宅の前の道を通ったことになります(夏季は川向の大学演習林側)を通行。駅前辺りで旅館の看板を三軒ほど見たように記憶しているのですが、名称を記憶しているのは阿部旅館だけで申し訳ありません。
 阿部旅館の南隣には確か旅館があったように思います。お父さんが昭和11年の入学で大館輝雄さんとおっしゃるとのことでしたが、さすがに記憶が悪くて申し訳ありません。何年か上で大館花子さんというお名前を学校で聞いたような気がしますが無関係でしょうか?。
お宅の旅館の近所で猪俣さんとか、皆川さん、沼倉さんとかあったように思います。
どうも記憶が不確かで申し訳ありません。
 またお気づきのことがございましたらよろしく。
doraneko-28
2016/11/27 09:27

 doraneko-28さま
早速のコメントをありがとうございました。

父は本日札幌駅まで買い物に行っていたようで、先程やっとこのブログを見せる事が出来ました。
とっても感激しておりました。

さて、皆川さんと沼倉さんは両隣だったそうです。また買い物にはよく鎌田さんに行ったそうです。
皆川さんには同じ年頃の娘さんがいらっしゃって、よく家に遊びに来られていたようです。
大館ハナ子は父(照雄)の4歳上の姉で、昭和11年3月(3年生)に病死したそうです。

父から添牛内の話をよく聞いていたので、雨竜館の痕跡を探していたら「添牛内Web同窓会」に巡り合いました。
勇気を出してisao-41さまにメールを出してみたら、こころよいお返事をいただき、そしてまさかのハナ子までたどり着き、isao-41さまとdoraneko-28さまには唯々お礼を申し上げるばかりです。
雨竜館の名前にまではたどり着けませんでしたが、十分痕跡をたどることができました。
本当にありがとうございました。
odate
2016/11/27 19:41

 odateさま
 コメント拝見しました。あまりお役に立つ記憶がなくて申し訳ありませんでした。
 お父様お元気のご様子で何よりです。また何かお尋ねになりたいことがありましたら私の乏しい記憶の範囲でお話ししたいと存じます。

 ハナ子さん、やはりお身内だったんですね。ずいぶん早逝されたそうでご冥福をお祈りいたします。

 鎌田商店は戦前戦後を通じてかなり長く営業しておられたようです。
ちなみに私は大学演習林の6号から通学していました。
doraneko-28
2016 11/28
      添牛内小学校「教育目標」 ●じょうぶな子 ●よく考える子 ●心の豊かな子 ●よく働く子

この記事へのコメント

大館孝寿
2016年11月29日 19:26
この度は父のために、このような記事を掲載していただきまして改めて深くお礼申し上げます。
まさかここまでしていただけるとは恐縮至極に存じます。
こんなに暖かい方々と接する機会が持ててとても幸せに感じております。
銅さま、doraneko-28さま、そして、その他お問い合わせをいただきました多くの方々にも厚くお礼を申し上げます。
isao-41
2016年11月30日 17:16
大舘さま

今年の我がふる里、例年より早く根雪になったようで、テレビの全国放送で、朱鞠内の積雪1㍍越が度々放映されています。
冬は豪雪極寒、夏は暑い我がふる里、四季のメリハリがはっきりして、それは素晴らしいのですが、内地と比較するに、厳しい自然環境には間違いない。
そんな環境下で育った我々には、逆境に強い人が多いく、しかも人情にあつい!・・・多分、そうだと思う??

私の拙いブログが、お役に立てれば幸いです。
ネットって凄いな~!

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