第21回生「卒業記念文集」

とてもユニークなニックネーム『魚屋「たまる」さんの棒はかりが懐かしい』様のコメントから、ご紹介したいと思います。
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第21回生卒業記念(S40年3月)校長:谷口外江先生 担任:細川英夫先生


 色々と情報ありがとうございます。知らないことがわかり参考になります。
ここで物置の奥から古い本が出てきましたので、一部紹介いたします。「わたしたちの郷土添牛内」幌加内町立添牛内小学校とあり、教科書のようなものです。
 内容から昭和38年頃かと思います。一部紹介しますと、「学校のおいたち」→添牛内に初めて学校ができたのは1912(明治45年)年です。
 添牛内の開拓に入ってきた人々は、子供の勉強のことを心配して作ったのです。でも、この学校には北星の人はくることはできませんでした。雨竜川に橋がなかったからです。そこで北星にも学校が1913年にできたのです。1年生から6年生までひとつの教室で勉強したのです。
 1922年の3月に卒業式の前の日に焼けてしまいお寺で卒業式をしたこともあります。やがて雨竜川に橋ができ1929年二つの学校が一緒になって幌加内村尋常小学校という名前にかわりました。 
 ~略~ その他開拓時の様子、消防、郵便局、でんぷん工場、鉄道などについて記載されております。当時の挿絵、添牛内市街地の絵地図もあります。懐かしいものが出てきました。 (2016.1.7)

 母校の沿革いいですね。改めて歴史を感じ、先人の方々の苦労があってこその学校です。感謝いたします。
 話は変わりますが、ある資料(表紙がなくタイトル?)の学校に関する記述です。 1938(S13)年夏、みなさんも職員室の前の写真で知っているでしょうが、あの歳桃多吉(さいとうたきち)先生が雨竜川で生徒たちと泳いでいる時に溺れかかった一人の生徒を助けようとして、先生もなくなったのです。今、雨竜川の岸に二つの石碑が建っているのはその時のことを記念したものです。
 やがて、第一次世界大戦がはじまると、学校は国民学校という名前にかわりましたが、戦争も合わって1949(S22)年になるとまた、添牛内小学校となりました。それと一緒に新しく中学校もつくられました。
  今は、先生が小学校、中学校合わせて14名、生徒は約270名くらいいますが、年々生徒数が少なくなってきてます。・・・・・ この石碑は今もあるのでしょうかね? (2016.3.5)

 添牛内中学校生徒会発行(第21回卒業記念文集)からご紹介します。
 タイトルは??漢字2文字で達筆すぎて何と読むのかわかりません。水色の表紙で室内からみた窓際のイラストが描いてあります。
 初めに校歌が3番まで記述され(添の文字が入った校章がり懐かしです)、次のページに校長の谷口外江さんのメッセージがあります。
 「今年は、落ち着きのない多忙な年でした。新校舎が出来るまでの何か月、校舎の移転の仕事、落成式、中学校開校20周年記念式典、学芸会等、またその前後のあわただしい毎日、雪が降ってようやく新しい学校になじみ、学習も落ちついてできるようになったと思ったら、もうすぐ卒業式という具合で、いつも三学期になると月日の過ぎるものは早いものだ、あれもしたらよかった、これもしたらよかったと後悔ともつかぬため息を漏らしているが、今年は格別そのように思われます。
 ~略~」 以降、教員の方々のメッセージが続きます。 池田さん、萩原さん、細川さん、原さん等々・・・ 卒業生、在校生全員?のメッセージと続きます。
 次回はどなたか教員の方のメッセージを載せたいと思います。 (2016.3.21)

  次回のメッセ―ジ、期待しています。
      添牛内小学校「教育目標」 ●じょうぶな子 ●よく考える子 ●心の豊かな子 ●よく働く子

この記事へのコメント

isao-41
2016年04月03日 11:58
『魚屋「たまる」さんの棒はかりが懐かしい』さま

中浜先生の「ふるさとに誇りをもって」を拝読いたしました。
卒業生する生徒に、なんと愛情あふるる、はなむけのお言葉でしょうか。
胸が熱くなる思いです。ご紹介して頂き、ありがとう。
魚屋「たまる」さんの棒はかりが懐かしい
2016年04月23日 07:28
コメント頂きありがとうございます。
また前回と同じ文集の一部ですが紹介したいと思います。

以下は1年間の行事かと思いますが、文面のタイトルがなく、単に1ページに羅列して書かれているものです。

 4月 1日 始業式
 5月17日 中学校修学旅行(道南)
 5月27日 グランド開き
 6月 9日 遠足実施 (朱鞠内)
 6月25日 防犯野球大会(深川)
 7月 2日 市長杯バレー大会(深川)
 7月13日 町内中学校排球大会(幌中)
 7月22日 中体連卓球大会(沼田)
 7月23日 中体連柔道大会(秩父別)
 9月 1日 中学校20周年記念球技大会(幌中)
 ?月 3日 北空知野球新人戦(深川)
10月 4日 町内新人戦(政和)
10月 8日 学校改築中学校20周年記念球技大会
10月15日 全空知バレー大会(豊沼)
 2月 7日 中体連スキー大会(深川)
 2月19日 町内スキー大会(沼牛) 
魚屋「たまる」さんの棒はかりが懐かしい
2016年09月18日 20:24
添牛内に関する記述(作者不明)が出てきましたので、紹介いたします。
[添牛内の様子」
○神社山から
私たちは、学校の裏の神社山に登りました。北星の家が道路に沿ってならんでいます。この道路の先に峠があります。温根別や士別に行くのだそうです。
 近くに見える大きな建物は、北星でんぷん工場です。お寺も見えます。屋根にペンキを塗ったきれいな二階建ての建物は北星会館です。このあたりが一番家が集まっているところです。高台の方に林が見えます。先生にきくと「あそこは、大学演習林事務所があるのだよ」と教えてくださいました。
ここからは、大曲の家が2,3軒しかみえません。先生は、「あの山影に大曲の家があるのだよ」と観音さんのある山を指さして教えて下さいました。
大曲にもでんぷん工場、大曲会館があるのだそうです。
学校の向こうに小さな赤い屋根の家が並んでいます。あれは、公営住宅というのだそうです。先生は、「学校の建っているところが旧市街で、駅の方が新市街だよ。どうしてできたか教室で勉強しよう」と言われました。
新市街には、駅、診療所、警察署、郵便局、食糧事務所などがあるのですが見えません。
私たちの住んでいる添牛内には、畑も水田も家もたくさんあります。山には木がたくさんはえています。
isao-41
2016年09月19日 16:47
魚屋「たまる」さんの棒はかりが懐かしい様

とても良い資料をご紹介頂き ありがとうございます
懐かしいです 神社山からの光景が目に映ります

神社山から見えた 北星の澱粉工場は大きかった
大曲には規模は小さいですが 第一と第二の 二カ所あり学校帰り第二澱粉工場で ナマコ(生粉)をストーブに投げ込み 焼いて食べたのを思い出しています
魚屋「たまる」さんの棒はかりが懐かしい
2016年09月20日 21:37
isao-41様
でんぷん工場のお話がありましたので、ちょっとだけ記載がある節を載せます。
○畑をつくる人々
この添牛内の町で一番の作物はなんといっても「ばれいしょ」です。とくに北星や六曲に畑が広々と続いています。ばれいしょは、主に農林1号という種類ですが、ほかに神谷いもなどもあります。
添牛内は雪が早いので、刈り入れ時は学校の生徒も手伝わならないほど忙しい日が続きます。今では、5,6軒が集まって一緒に仕事をする共同経営や機械の共同利用で仕事が楽になってます。
10月末まで続く取り入れが終わると、取れたばれいしょをでんぷん工場へ運びます。そこで重さを量り水洗いして大きな機械に入れ粉々にします。
そのとき「かす」と「でんぷん」に分け、出来たでんぷんを乾かし袋に詰めます。そこから主に小樽や本州に送り出されるのです。
お米はあまり作っていませんが、それは土地も悪く天気のいい日があまり続かないからです。ほかに小豆、野菜なども作ってます。

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