「母校のあゆみ」 その4

戦後の昭和20年から、昭和52年(添小85.添中30開校記念式典)まで、32年間の「母校のあゆみ」に進みます。
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 終戦の昭和20年、母校の教壇に立ったばかりの真嶋雄一は、盆休みを利用した宿泊軍事教練に集まっていた青年学校の生徒たちと、8月15日正午からの玉音放送を、教員室前の窓の下に整列して待った。学校の買ったばかりのラジオも雑音混じりのため判然とはしなかったが「・・・・・米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言(ポツダム宣言)ヲ受諾スルヲ通告セシメタリ・・・・・」を聞き、号泣する者もいた。最後まで戦えとの放送だと言う者もいた。日本の無条件降伏によって太平洋戦争は終結した。

 戦後の教育改革により、昭和22年4月添牛内小学校と改称、同年5月1日に添牛内中学校を併設し、高等科を廃止した。母子里小学校長鵜沼小鹿が本校校長に赴任し、小学校6学級・中学校3学級となり、翌23年3月22日に中学校第1回卒業生12人を送り出した。

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      添中第1回卒業生 校長:鵜沼小鹿先生 担任:芝 彰先生

 昭和25年、村内中学校整備計画の一環として、体育館新設と2教室増築がはかられ、9月26日に落成した。体育館は幌加内小学校に次いで、村内2番目の設置である。児童生数の増や教育内容充実のため、特別教室4教室増築され、29年2月完成した。31年の学校規模は、小学校6学級265人、中学校3学級132人で本校の全盛期となった。32年6月にグランドの位置を移転整理し、中学校第10回生(小41回生)の寄付で国旗塔が建てられた。

 急ごしらいであった体育館が、10年を経てみると高さ広さの改善が必要となり、昭和35年に困難視された嵩上げと共に拡張し、10月に完成をみた。37年は開校50周年の大きな節目であった。記念式と祝賀会は7月3日盛大に行われた。記念行事の一つとして『添牛内小学校五十年小史』が発刊され、学校の事跡を今日に伝えている。記念誌編集の責めを負ったのが、在籍3年目の教頭前田春吉で、不眠不休で作業に当たり、ようやく脱稿したのは6月19日の未明であったと、編集後記を残している。

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 増改築を重ねてきた校舎の老朽化が目立つ中で、町が35年に制定した総合振興10カ年計画中に、各学校の改築が取り上げられ、添牛内でも昭和40年8月に学校改築期成会を発足させ、早期実現を関係者に働きかけた。建て替え工事は41年から2カ年継続で施行され、初年に4教室が完成した。翌年の2期工事は11月に竣工した。4代目となる新校舎は、鉄筋補強コンクリート造カーテンウォール式2階建、1階に校長・職員・放送の各室に2教室、2階が7教室で総面積1,170㎡(354坪)となり、工事費2,760万円であった。校舎改築落成式に合わせて中学校開校20周年の祝賀会が、11月22日に多数の関係者が参列して催された。同時に町文化連盟主催による第5回町文化展が本校を会場に行われて花を添えた。

 昭和45年、水泳プールが建設され7月27日に完成した。長さ25m、巾8m4コースのプールでは、夏の行事としてプール開きやプール閉まいが加わった。この年小学生61人、中学生36人となり、全校で100人を切ることになった。翌46年小学校が全学年複式編成となり、49年には中学校が2学級に、そして50年には小学校3学級24人、中学校1学級8人にまで子供の数が激減した。翌51年3月に旧特別室を解体整理している。

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 添中30回生(昭和52年3月) 校長:宇佐美時造先生 担任:栂野修三先生

 昭和52年8月14日、開校以来小学校65周年・中学校30周年の記念式が挙げられた。会場の屋体には在校生32人を囲むように、同窓生ら多数の参列があった。この記念事業推進にあたり、その母校となるべく同窓会組織の再建がはかられ、現地役員の一人として小38回生の徳田幸助は、同窓生名簿の住所欄を埋めるために難儀したと述懐している。
                            
                                   最終その5に、続く

資料:新幌加内町史から
      添牛内小学校「教育目標」 ●じょうぶな子 ●よく考える子 ●心の豊かな子 ●よく働く子

この記事へのコメント

kuma-43
2016年03月19日 10:04
添牛内小・中学校校舎の建物を見る時体育館が見えます良く映画を見に行きましたそれまでは消防会館でした体育館では学芸会を思い出してきます敬老会などの時は村青年会の方達ののど自慢大会などで女性では大曲の銅さんの娘さんが歌って聞かせてくれておりました惰性では北星の今井武ちゃんのドラムが上手かった湖とを覚えております
kuma-43
2016年03月19日 10:09
追伸惰制改め男性です
栂野修三
2020年02月29日 10:09
S48、4~52、3まで勤務した懐かしい学校で、結婚したときでもあります。この写真はたった一人の転校した生徒が卒業したときです。その後、就職先が義母の勤務先で、いろいろフォローして戴いたようで、縁があるんだと思いました。今どうしているのかな?
銅 功
2020年04月10日 08:26
栂野先生
コメントありがとうございます。
ここ2年程、更新なしのこのブログでしたが、少し志向を変えて再開して参りますので、先生ご協力頂けないでしょうか。
添牛内校3年間在任中に発行された文集や郷土史、当時の写真等々お借り出来ないでしょうか。
今後皆様からの情報を中心にブログ更新をしたいと思います。
栂野修三
2020年04月27日 05:50
書き込みがあるのを知らず失礼致しました。今現在の資料は不明ですが、調べて見ますのでお待ちください。カメラを持っていなかったので、写真はあまり記憶がありません。でも資料を発見しましたらここで連絡致しますのでお待ちください。

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