『三頭山』第24号(東京幌加内会)

「東京幌加内会」会報誌「三頭山」第24号は、創立30周年記念号です。
小生に原稿依頼があり、添牛内の宣伝を少々(3面)・・・こっそり!拡大して!・・・読んでください。
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 こっそり読もうと拡大しても、読みづらいとのご意見に応えて!

『我がふる里』
銅  功 (添牛内出身) 仙台市在住(73歳) 

 4年前に未曾有の被害をもたらした3.11東日本大震災を仙台市内で被災しました。
運よく生かされた命、懐かしい方々にお逢いできる機会があるならば、積極的に足を運ぼうとの心境になり、昨年「東京幌加内会」に入会した新参者でございます。
 第二次世界大戦開戦の一か月前、幌加内町字添牛内にて生を受け、終戦後の物資乏しい時代に小中学生時代を過ごしました。当時住んでいた大曲部落から添牛内小学校まで5㎞の道程を、冬季はスキーを履いての通学、上級生が交互に先頭となり新雪を踏み分け、もくもくと進む後に続く下級生、猛吹雪の時も上級生が先導しての集団下校、夏は暑く冬は厳寒の環境下で培われた忍耐力は、その後の人生に少なからず好影響を与えたと思います。
 この頃の添牛内は、馬鈴薯が主産物で澱粉工場が幾つもありました。学校では収穫期に農繁休暇があり、朝モヤが立ち込める早朝から家族総出のイモ掘りや澱粉工場でナマコ(澱粉の塊=生粉)を焼いて食べたこと等々、思い出は尽きません。
 昭和35年深川の高校を卒業し就職後、引っ越しすること12回、15年前に最終勤務地となった仙台市に腰を据え現在に至りましたが、その間の昭和43年に結婚してから46年の間(本州に渡って30年)毎年夏季家族で、欠かさずふる里添牛内に帰って来ました。
 里帰りを繰り返し見続けてきたふる里は、年々過疎化が進み、未耕作地がどんどん増え、お店も無くなり学校も閉校、数十軒あった親戚も次々と故郷を離れ、今日は1軒を残すのみとなってしまいました。
 しかし、ここ10年前頃から、少しずつ好転への兆しを感じて居ります。現状について「北空知新聞」「北海道新聞」「東京新聞」が相次いで報じて居ますのでご紹介します。
 『国内30戸未満の小集落で、域内の平均年齢が30代半ばの集落が、北海道上川管内幌加内町にある。人口1800人から14戸43人に減ったが高齢者ばかりの「限界集落」ではない幌加内町の添牛内自治区は3人に1人が15歳以下という若い地域だ。
 過疎が極限まで進んで若返り始め、未来への希望がほんの少しだけ見えて来た。幌加内町真ん中にある「添牛内自治区」は1911年(明治44年)に開拓を開始。しかし70年代以降、離農が進み工場は閉鎖、95年の深名線廃止と前後して営林署や郵便局が廃止された。
 転機は、ソバ生産。町の尽力で、幌加内町は80年からソバの作付け日本一となり、「幌加内そば」を築いた。その後UターンやIターンをする人が相次いのだ。』  =東京新聞から抜粋引用=

 地方創生が叫ばれる今日、我がふる里「幌加内町」「添牛内自治区」は、蕎麦生産に付加価値を付け、将来に向けて着実に歩んでいるのです。
 人生の礎・愛するふる里に、どの様な形で恩返しが出来るか現在模索中、今年も9月初旬、家族で添牛内に帰ります。
      添牛内小学校「教育目標」 ●じょうぶな子 ●よく考える子 ●心の豊かな子 ●よく働く子

この記事へのコメント

kuma-43
2015年04月21日 09:45
先輩見せて頂きましたよ。「我がふる里」東京幌加内会へ入会されたようですね。今後のご活躍をご祈念しております。
isao-41
2015年04月22日 06:57
kumaさん 体調はいかがですか~?

このところ天候不順で 早朝散歩が出来ず 身体が鈍った様な感じ!
今日から好天が続きそうなので 郊外に足を延ばそうかな~

東京幌加内会には 東京勤務時代に入会を考えた事もありましたが 当時は営業管理職でノルマに追われ?セブンイレブンの勤務状況・・・
気持ちに余裕がなく 定年後 それも震災後 心境の変化から 昨年入会した次第であります

kumaさん 活躍を祈念しますと言われても~~
・・・無理で~す