白石区の由来

桜の開花を迎えに 県南の白石市まで足を運びました。2015.4.3
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              白石城 2015.4.3撮影
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      早咲きの枝垂桜は開花していましたが ソメイヨシノは開花前

宮城県白石市は、仙台市から南方約50㌔程度に位置し、札幌市白石区由来の地であります。
 白石城
 後三年の役(1083~1087年)で戦功を成した刈田左兵衛尉経元が白石の地を賜り、刈田氏と称してここに築城したのが始まりといわれています。
 その後白石氏などの支配後、伊達氏の勢力下に入ったものの、天正十九年(1591年)豊臣秀吉は、この地方を没収し、会津若松城とともに蒲生氏郷に与えました。蒲生氏家臣蒲生源左衛門郷成は、白石城を改修し城主となりました。
 慶長三年(1598年)上杉領となるや上杉氏家臣海甘糟備後守は白石城の再構築を行い居城しました。
 慶長五年(1600年)関ヶ原合戦の直前、伊達政宗は白石城を攻略し、この地方は再び伊達領となって、石川大和昭光が一時城主となりました。
 その後、伊達氏家臣片倉小十郎によって大改修がなされ、以後明治維新まで二百六十余年間片倉氏の居城となり、城下町として栄えました。
 元和元年(1615年)に江戸幕府により発せられた一国一城令によって、各藩では大名の居城を残して領内の支城を全て破却しているが、仙台の伊達家の場合は、加賀の前田家における小松の城などとともに、領域の南を守る白石城が特別に残されました。

 木造建築による完全復元天守として、平成七年三月に白石城が復元されました。
 白石城天守は三階で、一階は東西九間×南北六間、三階は東西五間×南北三間の広さがあります。
 高さは石垣天端から16.7m、戦後の木造復元天守では高さ、広さとも日本最大級を誇る城郭建築です。
 現在の建築基準法では一三メートルを超える木造建築を建てることが禁じられていますが、白石城では建築基準法38条の建設大臣特別認定を受け、建てることが実現しました。


 そのような事情から白石城では天守に相当する櫓を「大櫓」と呼び、城主片倉家の日記の中でも、天守とは記していません。
 明治維新には戊辰戦争の際、薩長連合に対抗するための奧羽越列藩同盟(三十一藩)の盟約が白石城で結ばれ、公議府が置かれ輪王寺宮が滞城されました。
 その後、按察府の設置、兵部省兵隊屯所になるなど、日本の歴史の転換期には一役を担う重要な城でした。
               【白石市観光協会から】

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        片倉小十郎啓景綱公領徳碑

 【札幌市白石区の由来
 白石の歴史は、戊辰戦争で敗れた仙台藩の白石城主、片倉小十郎の家臣の人々が明治4年11月に当時、最月寒と呼ばれていた地(現在の中央付近)に開墾のくわを入れたことに始まります(白石城は現在の宮城県白石市に位置)。彼らは、冬の寒さに耐えながら、現在の国道12号沿い(白石公園付近から白石神社までの間)に短期間で住まいを完成させました。そして、その熱心な働きぶりに感心した開拓使の岩村判官が彼らのふるさとの名を取って「白石村」と命名。これ以後、この土地が「白石」と呼ばれるようになりました。 
               【札幌市白石区のHPから】


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白石城内は公園となっており、6時頃から三々五々集まって来た年配者・・・ 

6時30分、片倉小十郎碑の周りでNHKのラジオ体操が始まった。

綺麗に手入りされた城内公園、素晴らしく良い環境でのラジオ体操、長生きしそう・・・?
      添牛内小学校「教育目標」 ●じょうぶな子 ●よく考える子 ●心の豊かな子 ●よく働く子

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