doraneko28回想録「自転車」(三角乗り)

我ら添牛内校同窓生の大先輩 doraneko-28さんの回想録から「自転車」をご紹介致します。
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  三角乗りのイメージ写真:「昭和の自転車」さんのブログからお借りしました


 ・・・自 転 車・・・  doraneko28
  フレームが逆三角形の自転車に横から足を入れる、いわゆる「三角乗り」で、私がようやく自転車に乗れるようになったのは、小学四年生のころだっただろうか。
 山深い農村の自宅周辺には広場や平坦な道路などはなく、馬車のわだちで深く掘れた2本の溝の間に、馬が踏み固めた部分がようやく50センチ足らずの幅で続いており、そこが唯一自転車の走れる場所だった。
 そんな馬車道で何度となく手足を擦りむき、あざをつくりながら、ようやく乗れるようになったときのあの嬉しさ……。それまで幾度となく見た夢の中では乗れていた自転車だ。現実にペダルをこいだときのあの嬉しさは未だに忘れられない。
 そうなると自分用の自転車が欲しくなる。しかし、そのころ全校でも子供用自転車を持っているのは学校近くの市街地に住む僅か2~3人、そんな中で、引っ込み思案の私の性格では恐くて親にはとてもねだれないし、ねだったとしても無駄だっただろう。
 そのころ農家向けの月刊誌「家の光」というのを家で購読していたが、その子供ページに自転車の当たる懸賞があって、毎月はがきを書き送り、夢にまで見て楽しみに待った。が、結果はご想像のとおり…。
 そのときはがきに書いた「東京市麴町區」という旧字体の宛名は今でも忘れられない。

※そのころ、22インチとか24インチの自転車を持っていたのはたぶん、横山幸雄さん、真島雄一さん、それに小田さんにもあったように思うが?…。それくらいかな?。

※私が住んでいたのは大学演習林の6号で、3戸の農家しかなく、7号を通って吊り橋を渡り、旧市街に出るまでは細い林道の,わだちの深い馬車道だった。(6号に吊橋が架かったのは昭和25~26年ころ)


月刊誌 「家の光」 昭和14年4月号 昭和10年4月号 ヤフオク!で1,000円
特集「南米/満州/北海道移住地」との説明が付いています
=ヤフオク!から=    
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         昭和20年代 大学演習林 5号・6号の住宅地図
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      添牛内小学校「教育目標」 ●じょうぶな子 ●よく考える子 ●心の豊かな子 ●よく働く子

この記事へのコメント

doraneko-28
2015年03月10日 13:05
isao-41さま
「家の光」随分古いのがあったんですね!。
よく見ると昭和10年4月号ですよ。まさに私が入学したその時です。
 写真ではよくわかりませんが価格は20銭でしょうか?
丁度80年前です。
 添牛内が一番栄えていた時代ですね。
isao-41
2015年03月10日 14:46
doraneko-28さま

本当ですね!オークションの説明書きには 昭和14年4月号となっていましたが・・・
背表紙よ~く見ると たしかに昭和10年が正解ですね 先輩の入学の年とは レアもの貴重ネタ本なり 裏表紙の「用品学合組」て?? 先輩教えて下さい

説明書には 昭和14年4月号特集「南米/満州/北海道の移住地案内」と書かれています
この当時 内地の人にとって北海道は 移住地だったのだ~!
doraneko-28
2015年03月10日 15:55
あのころを思い出しちゃいましたねえ。

 田舎の学校のさらにイナカッペの一年坊主ですからね!
自分から声をかけて友達になることなんか到底考えられませんでした。が、幸運にも新市街まで一緒に帰る子が声をかけてくれて友達になれました。救いの神でしたねえ!。
 冬の間だけ氷橋があるので新市街を通ったのです。

 「用品学合組」は「組合学用品」ですがその頃「産業組合中央会」では、農業用品だけでなく学生服や自転車など、いろんなものを組合マーク入りで取り扱っていたようですね。
 我が家の自転車もそうで、「共存同栄」とマークが入っていました。


isao-41
2015年03月10日 21:57
な~るほど!うっすら解りました?
そこで 少し調べて見ました。

『明治33年(1900)産業組合法によって設立された協同組合。信用・販売・購買・利用の4種があり、資力の弱い中小生産者・農民の保護と救済を目的とし、特に農村で発達した。第二次大戦後は各種の協同組合に移行。』

今日のJAや生協の ご先祖様的存在だった!
isao-41
2015年03月10日 22:06
「家の光」昭和10年4月号 この当時既にカラー印刷だったのに驚きました。

表紙に描かれている女性の表情が いいですね~!
お母さんと お子さん二人でしょうね?