添牛内にて⑤

添牛内にて・・・の最後は、旧添牛内駅の写真を4枚・・・。
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       【平成26年9月9日撮影】

毎年、同じ様なアングルで写している旧添牛内駅、平成23年~26年間の9月初旬に撮影した、4枚を並べました。

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       【平成25年9月撮影】

takki-48さんの写真をお借りしました。

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       【平成24年9月撮影】  

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       【平成23年9月撮影】 

よ~く見ると、後ろ姿が写っていますが、駅前にお住まいの山前さんです。
現在、山前さんの倉庫として利用されています。
      添牛内小学校「教育目標」 ●じょうぶな子 ●よく考える子 ●心の豊かな子 ●よく働く子

この記事へのコメント

mie
2014年09月29日 11:31
何度見ても行きたくなる場所がここ
幼い頃 この場所で盆踊りがあり
当時は大変な賑わいでした
私は 母の手を握り 前の人の腰あたりから
覗き込んで踊る大人の楽しそうな様子を眺めたものです

胸躍らせて集合した修学旅行 合唱コンクール参加も
ここから、、、
遠い記憶の中に 今も しっかりと残る
この場所
永遠に、、と思うけれど
倉庫代わりとは あまりにも哀しいのが本音です
isao-41
2014年09月29日 21:06
kumaさんの記憶の良さには、いつも感心していますが、
mieさんも凄いね~!
全く忘れていた盆踊りが甦って来ましたよ!

私は旧市街、高田呉服店前に櫓を組んだ広場で盆踊りに参加し、最終日の仮装盆踊りで入賞したこともありました。

それ以後、盆踊りが病み付きとなり、kumaさんと同じ会社時代チームを結成、揃いの法被姿で、旭川常盤公園等で盆踊りに狂っていました。 

踊りの輪が三重四重になると、踊る輪ごとに進行方向が交互になり、すれ違う各会社チームの社名を連呼したものです。どっこい○○!どっこい○○!

懐かしい思い出で~す。
kuma-43
2014年09月30日 06:50
思い出しましたよ。応援隊として見物の輪に参加しておりましたよ。添牛内では高田商店前とか添牛内駅前とか子供の頃遠征したものです。添牛内駅の思い出は幌加内にあった歯科医院への通院とかスキー大会参加修学旅行(添牛内・新富・朱鞠内合同参加)の出発点でした。駅の横にあった松の木が随分大きくなったことが年輪を感じます。まだまだたくさん思い出します。

doraneko-28
2014年09月30日 10:43
isao-41さま。添牛内駅同季節の定点写真、秋風に揺れるコスモスが何となく侘しさを感じていいですね。
皆さん添牛内駅のいろいろな思い出ありがとうございます。
当然ながら私も添牛内駅には数々の思い出がありますねえ。ただし、古すぎて皆様には共感されないかと思いますが…。
最も古い思い出は昭和7~8年ころ、母に連れられて石狩地方の母の実家への旅で乗り降りした時。その頃待合室に入ると右奥の隅のところに、白いホーロー引きの「痰壺」が置いてありました。高さ40~50センチ、直径20センチほどでしたか?筒形で、青色の大きな字で「たんつぼ」と焼き付けられていたのが何故か印象に残っていますが、いつ頃まであったでしょうか?。その頃は各駅に備えられていたようです。
小学校時代は、出征兵士を随分見送りました。先ず全員で神社参拝をしてから駅に向かい、駅頭で万歳三唱をしてお見送りするのですが、多くの人が白木の箱での帰還となりました。先日札幌の護国神社で碑銘を見ましたが、添牛内からも沖縄だけでも何人ものお名前がおりました。
悲喜交々の乗降客や見送りの人々を見てきた添牛内駅。今の姿は淋しいですね!。それでも行ってみたいです。


isao-41
2014年10月02日 05:58
doraneko-2さま

駅頭にて出征兵士お見送りの記憶が微かにあります。
皆が万歳万歳と・・・何が万歳なのか幼い自分には分かりませんでしたが・・・。

駅の待合室に「痰壺」が置いてあったのは、鮮明に覚えて居ます。
家内にその話をすると、旭川では銭湯や映画館にもあったよと言っている。
結核防止法により当時駅の待合室やSL車両内にも設置が義務付られていた様ですね。




doraneko-28
2014年10月04日 17:15
isao-41さま

そういえばSLの客車にもありましたね…。あまりきれいな話ではありませんが、「痰壺」の話。
古い昔の客車でフローリングの床でしたが、通路の中央に真鍮製の金具が埋め込まれたいたのを思い出しました。

座席の背もたれが木製の直立の板状だったこと。窓の日除けが木の桟の戸になっていて、開けるときはガタンと落とすこと。天井に煙突の穴があって冬はダルマストーブがついたこと。乗せられたスルメが体を折り曲げていい匂いを漂わせていたこと。
深名線を走る列車は普通、何両もの長い貨車の後ろに2両の客車がついた混合列車でしたね。その頃は木材や農産物などの輸送量が多かったんですね。
普段は赤い帯の3等客車ですが、何かの大きな行事があったときは客車だけが何両も連結されて、青い帯の2等車もあり、おおきなSLが引っ張っていて地元が街になったみたいで嬉しかったですよ。

故郷が栄えた時代です。思い出すままに…。