大火から50年(朱鞠内)☆

昭和39年5月16日午後に発生し、朱鞠内市街地の大半を焼き尽くした大火から、50年が経過しました。幌加内町役場FBからご紹介致します。
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5月16日は昭和39年の同日に発生した朱鞠内大火から50年となりました。今日は肌寒く、雨も降っていますが、発生した当時は天気もよく、気温も20度くらいと初夏を感じさせる気候だったようです。
午後0時40分市街地より火事が発生し、連日の乾燥状況と、約10メートルの強風などによりあっという間に火事が広がり、市街地を焼きつくしました。
先日、その当時火事を経験された方にお話を伺いましたが、当時の朱鞠内は林業が盛んであったため繁栄しており、民家も密集して建っていたそうです。
火事の発見は早かったようですが、広がるスピードに消火は対応できず、住民の方を避難させることと延焼を防ぐことで精一杯だったそうです。
現在と当時とは状況は違いますが、最近も全国的に大規模な林野火災なども発生していますので、乾燥しやすいこの時期はとりわけ火の元の管理を徹底しなければならないと再認識しました。
なお、写真は今日の朱鞠内の様子とその当時発生時の朱鞠内の様子です。

朱鞠内大火から50年【広報ほろかない】http://www.town.horokanai.hokkaido.jp/wp-content/uploads/2013/11/ca26d560e596f63dc1955673d30384bd.pdf

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          写真3枚:『昭和の記憶」旅日記HPから

・・・朱鞠内大火・・・(白鳥 秀樹氏のHPから)
 昭和39年5月16日、遠足の日だった。強い風が吹き荒れ、消防訓練の日でもあった。
 けたたましくサイレンが鳴り響き、消防訓練なのだろうと思った。しかし、それは火災発生の知らせだったのだ。火事は新市街の中心当たりで火の手が上がったという。遠足帰りの途中だったので、多くの生徒が小高い丘から火事の状況を見つめた。
 何カ所からか火の手が上がり強い風とともに次から次へと燃え広がっていく光景を目の当たりにした。
 焼け野原になった火災現場に行ってみる と、家を焼失し呆然と立ちつくす人々。延焼を防ぐために燃えていない家が緩衝帯として壊され、その前で涙ぐむ人達の姿を目の当たりにし、私も胸が痛くなった。
 この大火で士別市から駆けつける途中に交通事故で消防団員一人が死亡し、火災現場で数人が負傷したと聞く。なんとも痛ましい事故である。
 その後、旧市街、ダムの商店街と三年続けて火災が発生し、放火ではないかという噂が一部で流れたが原因は不明のままとなった。旧市街の火事は我が家の向かいだったので、今でもその時の恐怖感は忘れることができない。 戦争中はダム建設で数千人もの人口になり、ダム完成後は徐々に人口減になっていた朱鞠内であったが、この大火で116戸が消失し、その後、この地を離れる人が続出し、一挙に過疎化が進んでしまったという。
      添牛内小学校「教育目標」 ●じょうぶな子 ●よく考える子 ●心の豊かな子 ●よく働く子

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