添牛内まで鉄道開通

懐かしの添牛内(添牛内駅)に続いて、昭和6年9月15日(1931年)鉄道が添牛内まで開通した当日の新聞記事と投稿者のコメントをご紹介します。(投稿者:doraneko-28さん)

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雨竜線 けふ(今日)開通式 終点駅「添牛内」にて挙行す。 特筆すべきは橋梁架設 以下記事の内容 字が潰れていて解読出来ません。
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添牛内に、鉄道が開通した日、新聞の写真です。

北海タイムスとは北海道新聞の前身です。

マイクロフィルムからのコピーサービスなので不鮮明ですが、

それまで幌加内までだった鉄道が、昭和6年9月15日、添牛内まで開通しました。

そのころは添牛内も全盛期だったのではないでしょうか。

私が入学した昭和10年ころは旧市街も新市街も隙間なく店が並んでいました。

旅館も5軒くらいあり、料亭もあって三味の音が聞こえていましたよ。

doranako-28



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      添牛内小学校「教育目標」 ●じょうぶな子 ●よく考える子 ●心の豊かな子 ●よく働く子

この記事へのコメント

mie
2013年10月09日 20:35
すごい新聞ですネ~
私の生まれる前の添牛内は
未知の世界ですが叶うなら
散策したいです!
旅館 5軒もあったのですね
料亭に 三味線の音・・・
ますます叶えたら嬉しいのに
添牛内の一番 輝いていた頃でしょうネ
貴重な新聞 ありがとうございました
カムシュペ
2013年10月10日 04:01
doraneko-28さま
珍しい新聞記事を投稿していただきありがとうございます。建設機会などない時代によく鉄道を建設したとおもいます。ルオントの近くにどうして鉄橋が2つあるのかわかりました。また北海道帝国大学とか御料大学とか言う名前が出てきたので驚きました。でも当時は雨竜演習林派出所として、鉄道建設や耕作地造成に深く関わってその地域の福祉向上に寄与したことがうかがわれます。
先年、幌加内町史を見る機会がありましたが、演習林に関する記述はなにもありませんでした。doraneko-28さまは長い間添牛内を見ておられますが、演習林はその地域の発展に貢献したとお思いでしょうか?
doraneko-28
2013年10月10日 21:12
カムシュペさま
おっしゃるように、演習林の果たした役割は大きかったと思います。
実は、私も演習林側に生まれ、昭和22年ころまで住んでおりました。
昭和49~50年ころの広報ほろかないの中に、黎明期の添牛内に触れた記述がありましたので抜粋して、isao-41さんまで送ります。
カムシュペ
2013年10月10日 22:46
doraneko-28さま
早速のレスありがとうございます。
その年は公会堂が焼けた年ですか?
doraneko-28
2013年10月11日 12:46
カムシュペさま
公会堂が焼けた?というのは私は知りませんでした。

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