添牛内のあゆみ 「昭和期の添牛内」②

昭和の添牛内史②(昭和11年~昭和20年)
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昭和11年(1936)

・添牛内尋常小学校 西側2教室を増築。

・添牛内尚武会発会式をあげる。(5月)

・添牛内郵便局 電話の交換業務を開始する。(加入者9人 10台)


昭和12年(1937)

・集配3等郵便局制度の改正により、従業員の給料逓信局直轄支給となる。


昭和13年(1938)

・体育の時間に水泳の際、大崎栄子さんが溺れ、

 助けに行った歳桃先生は、大崎さんと共に溺死する。(8月25日)

 空知教育葬として葬儀を執行した。


昭和14年(1939)

・電話線士別・添牛内経由朱鞠内となる。


昭和16年(1941)

・3等郵便局を集配特定郵便局に、局長を特定郵便局長に改正される。(1月)

・添牛内国民学校と改称。(初等科6年・高等科2年)(4月1日)

・故歳桃順導殉職彰碑の除幕式挙行。(8月26日)

・深名線鉄道前線開通。(10月10日)


昭和20年(1945)

・添牛内厚生病院、開業。 木造2階建て、ベット数20床。

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      添牛内小学校「教育目標」 ●じょうぶな子 ●よく考える子 ●心の豊かな子 ●よく働く子

この記事へのコメント

kuma
2012年10月04日 15:26
添牛内の病院はとても懐かしいですね。昭和24年頃母親が入院した事があり入学1年前頃見舞いに行った事を思い出しました。
doraneko-28
2013年10月23日 15:10
kumaさま
添牛内の病院には私も同じ時期に同じ病気で入院して、
kuma様のお父さんお母さんにも大変お世話になりましたよ。
あなた方ごきょうだいのお名前も強く印象に残っています。
付添いの自炊でしたが、あなたのお母さんが私より先に退院されて、次の通院の折に新鮮なネギをいただいたのがとてもうれしく、おいしかったことを忘れられません。
ありがとうございました。
お父さんは私の家にも時々お仕事で来られましたよ。

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