同窓生紹介③小田健さん

我が故郷、添牛内校同窓生から、小田 健(おだ たけし)さんをご紹介いたします。
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小田健さんのプロフィール

1949年生まれ。
65年添牛内中学校卒(昭和40年)(中18回・小49回)(校長:高橋長平先生 担任:中村福夫先生)
73年東京外国語大学ロシア語科卒後、
日本経済新聞社に入社。

外報部、経済部などを経て
87-91年モスクワ支局長、
92-96年欧州編集総局(ロンドン)次長として欧州を中心に取材活動。

98年論説委員兼編集委員、
09年から編集委員。
現在ジャーナリストとして、ご活躍しています。

著書には
「現代ロシアの深層―揺れ動く政治・経済・外交>」(日本経済新聞出版社)など



著書 : 『現代ロシアの深層』をご紹介します。
出版 : 日本経済新聞出版社(2010年4月刊。6000円+税)

 中国と並ぶ巨大な隣人にもかかわらず不透明なロシア。ソ連崩壊以降どのような変化を経て、プーチン体制は構築されたのか? 知られざる素顔を政治・軍事・経済・社会・外交の歴史を交えて解説する初の現代ロシア史です。

・・・まえがきより・・・
 巨大な隣人の素顔をベテラン記者が多角的に解説する 待望の現代ロシア論。知られざる再生の苦悩とジレンマ ロシアはユーラシアの大国として独自路線を歩んでいる。特に2000年以降、原油価格上昇に支えられて経済成長に勢いがついて進路に自信を持ち始めた。しかしロシアが欧米に敵対する新冷戦の復活を夢見ているわけではない。プーチンは大統領代行だった2000年2月に「ソ連消滅を遺憾に思わない人には心がない。しかし、ソ連を復活しようとする人には頭脳がない」と述べた。それはロシア全体で共有されている認識だろう。

第 I 部 政治―混乱から安定へ
 第1章 プーチンとロシアのアイデンティティ
 第2章 豪腕プーチン 八年有余の軌跡
 第3章 ユーコス事件と石油王の退場
 第4章 支配層の変遷―オリガルヒからシロビキへ
 第5章 報道の自由の微妙
 第6章 双頭体制の発足

第 II 部 終わりになき軍改革
 第7章 軍効率化に悪戦苦闘
 第8章 核戦力の再編と新型ミサイル開発

第 III 部 ショックに揺れた経済・社会
 第9章 経済多角化への挑戦
 第10章 2008~2009年経済危機の衝撃
 第11章 資源大国ロシアの復活と課題
 第12章 歯止めかからぬ人口減少

第 IV 部 主張する外交対米関係
 第13章 ユーフォリアからリセットまで
 第14章 核軍縮とミサイル防衛をめぐる攻防
 第15章 ロシア流民主主義への疑念
 第16章 対NATO接近と反発
 第17章 対イラン脅威認識の隔たり
 第18章 コソボ独立をめぐる応酬
 第19章 「ナン・ルーガー」と原子力協力
 
第 V 部 茨の道―対近隣諸国関係
 第20章 解決の糸口つかめぬ北方領土問題
 第21章 ロシア・グルジア紛争の地政学
 第22章 思うに任せぬ新ロシア圏づくり
 第23章 中央アジアの新グレート・ゲーム
 第24章 中ロの緊密で複雑な関係

あとがき
 大学でロシア語と国際関係論選択して以来、中断はあったが、長年、ソ連・ロシア情勢に関係してこられた。幸運だったのは、ペレストロイカ、冷戦終了、ソ連崩壊という現代世界史の大きな節目となった時代にモスクワ特派員を経験、さらに東京でデスクとして紙面を編集できたことである。
 当時は驚きの連続だった。展開を読めなかったという不明を恥じるべきだが、その中から三つ紹介したい。
 ミハイル・ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長のペレストロイカ時代末期の1990年から1991年春にかけ、モスクワなど各地で反体制大規模デモが相次いだ。さすがに共産党独裁体制や連邦制が大きく揺らぎ、ゴルバチョフ体制が危ういことは感じられた。その後、ソ連は1991年8月のクーデター騒ぎを経て同年12月には消えてなくなった。後から振り返ると論理的な帰結のようである。歴史的必然ともいえよう。だが、デモや集会の現場にいる時は、のちの展開は想像の域を超えていた。
 1989年10月、東ベルリンで東ドイツ建国40周年が開催された。共産圏諸国などの首脳が出席、ゴルバチョフ書記長も駆けつけた。降り立ったシェーネフェルト空港から市内へ至る沿道は鈴なりの人で絶えることなく「ゴルビー・ゴルビー」の歓声が響いた。あのような光景はその後も見たことがない。迎えたエーリッピ・ホ―ネッカー・ドイツ社会主義統一党書記長は異常なほど浮かれ、夜には松明行列を見守った。だが、この頃すでに東ベルリンなどで反体制の集会が開かれていた。東ドイツ市民がハンガリーなどを経由して西ドイツへ流入するという動きもあった。それは知っていた。しかし、式典からわずか10日ほど後にホーナッカは解任され、その20日はど後にはベルリンの壁が壊された。あまりにもあっけなかった。
 ゴルバチョフは1989年5月訪中し、30年ぶりの中ソ首脳会談に臨んだ。訪問中、天安門広場では数万人規模の民主化要求集会が続き、上空には戦闘機まで現れた。騒然とした雰囲気であることを感じた。だが、それが多数の死傷者を出した6月4日の天安門事件の序曲だったとは・・・
 ソ連崩壊後、ボスリ・エリツィンが統一した1990年代は文字通り激動と混迷の時代だった。落ち着き方にはさまざまな意見があろうが、ロシア社会が落ち着き始めたのはウラジーミル・プーチン時代に入ってからだ。
 その頃から書き溜めてきたものを下敷きに直近の情勢も踏まえ本書をまとめた。ポスト・ソ連のロシアを多面的に解説したつもりである。
 2010年3月 ・・・桜の咲く頃  小田 健 ・・・  
 
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福岡県弁護士会「弁護士の読書」より(2011/02/23)
・・・投稿者 霧山昴さん・・・ 
 ロシアが今どうなっているのかを知りたくて読みました。560頁もある、大部で、ずっしり重量感のある本です。ロシアの男性の多くが60歳までに亡くなって年金をもらえないという現実を知りました。そうなんです、ウォッカの飲み過ぎです。エリツィン元大統領も明らかにアル中でしたよね。ロシアの男性には、それだけ社会的ストレスがひどいようです。それでも、ソ連時代には戻りたくないのです。そして、一時はアメリカと資本主義(自由主義)に急接近していましたが、今ではロシア独自の道を自信もって歩いているようです。そして、この本を読んでロシアの軍隊は張り子の虎のような気がしました。初年兵のいじめが横行し、武器は老朽化しているようです。もっとも、今の日本では「ロシアの脅威」なるものは、右翼すらあまり言いたてなくなりましたね。
 プーチン大統領は、憲法の規定どおり2期8年で退任した。健康で支持率の高い最高指導者が憲法を守って任期をまっとうしたのは、ロシア史1000年のなかで初めてのこと。プーチン大統領の最後の記者会見(2008年2月)には内外の記者1364人が出席し、4時間40分にわたって100問以上の質問にこたえた。うひゃあ、これはすごいですね。アメリカの大統領でも、これほど長くて大衆的なの記者会見はしていないんじゃないでしょうか。
 エリツィン大統領は、地方分権化に配慮して連邦の維持を図った。しかし、地方が連邦を軽視し、勝手気ままに統治したというのが実態だった。地方の首長がときに犯罪組織とつながって、文字どおりボス化し、封建君主のように振るまった。連邦法と地方の法律が相互に矛盾し、法体系が崩れた。
 オリガルヒとは、1992年以来のロシア資本守護の混乱の中で、法の未整備を巧みに利用して巨額の蓄財に成功し、エリツィン政権に癒着して、政治にも口をはさんだ一握りの成り上がりの事業家。オリガルヒが最高に力を持っていたのは、1995年から1998年にかけてのこと。プーチン大統領は、オリガルヒを弾圧し、政治への介入を封じた。次にプーチン大統領はエリツィン前大統領の「家族」の影響力を抑えた。プーチン大統領は、オリガルヒのあからさまな政治介入に歯止めをかけたが、オリガルヒを全滅させるようなことはしなかった。そこで、オリガルヒは富を増やし続けた。ロシアには1998年に10億ドル以上の資産家が4人しかいなかったが、2008年には110人にまで増えた。
 今度は、シロビキがプーチン大統領の下で台頭した。シロビキとは、ソ連時代のKGBや今のFSBなどの特殊情報機関、内務省などの法執行機関、そして軍でキャリアを積んだ人たちを指す。なかでも特殊情報機関出身者の存在感が大きい。ロシアの支配層を調査すると、経歴にKGBあるいはFSBにいたことを明記していた人間が26%もいた。メドベージェフ大統領のもとでもシロビキが影響力のある地位に配置されていることに大きな変わりはない。
 ロシアのマスコミは、たとえば1996年の大統領選挙で再選を目指すエリツィン大統領の支持率が3から4%と極端に低く、ジュガノフ共産党首に大きく水をあけられていたとき、エリツィン政権と一体となって傘下の報道機関を総動員してエリツィン大統領を盛り立て、逆にジュガノフ党首へのネガティブ・キャンペーンを展開した。このようにロシアの報道機関は報道の一線をこえて選挙運動に直接関与した。しかも、その裏には、ビジネス上の自己の利益を確保しようという意図があった。
 2002年夏までに政府が主要な全国でテレビ網を手中に収め、オリガルヒによるテレビ支配は終わった。政府は、世論形成に大きな影響力をもつ全国テレビ放送局を事実上独占し、政府に都合のよい報道を垂れ流している。ええーっ、でも、これって日本でもあまり変わらないんじゃないでしょうか。それもきっと月1億円を自由勝手に使っていいという、例の内閣官房機密費の「有効な」使われ方の「成果」なんでしょうね。
 ロシアでは、1992年から2009年4月までに50人もの記者が報道の仕事が理由で亡くなっている。うむむ、これはひどい、すごい現実ですよ。
 ロシアの軍隊では、毎年、暴行によって数十人が死亡し、数千人が肉体的・心理的な後遺症を負い、数百人が自殺を試み、数千人が脱走している。さらに、将校の関与する汚職事件が増えていて、5人以上が懲役刑の判決を受けた。
 1990年代には、軍でも給与の未払い、遅配が起きた。軍人世帯の34%が最低生活保障水準を下回っていた。たとえば空軍では、新型機を1990年から一機も調達できていない、海軍の艦船の半分以上が要修理の状態にある。2004年に、バルト海におけるロシア軍の能力は、スウェーデンやフィンランドの2分の1ほどでしかない。
 ロシア軍は必要兵器の15%しか保有しておらず、ロシア軍は紙の上だけで仕事をしている。これは、ロシア軍の参謀総長が2009年6月に演説した内容である。うひゃあ、そ、そうなんですか・・・・。
 ゴルバチョフ時代に原油価格が高ければ、ソ連は崩壊しなかったかもしれないし、エリツィン時代に原油高があれば、あの経済混乱はなかったかもしれない。プーチン大統領は幸運だった。原油高が強いプーチン大統領をつくった。
 ロシアは世界的にみてきわめて汚職度が高い。ロシア経済の弱点のひとつは、インフラが脆弱なこと。ロシアの平均的男性は、60歳という年金支給開始年齢まで生きられない。女性のほうは73歳ほど。ロシアの男たちが飲むのは、社会的ストレス、貧困、不安感などの要因が考えられる。しかも、ロシアでは麻薬常習者が急増し、300万人から400万人に達している。そして、その結果、エイズ患者も急増している。
 ロシア社会の大変深刻な状況がよく伝わってくる本でした。

・・・「新世読書放浪」より・・・(2010/08/03)
 著者は日経のロシア・プロパーの人だが、記者ものにしては珍しい大著。600ページ弱もある。モスクワ時代の個人的な思い出話などは一切排して、研究書に徹しているのだが、大学教授転出への足がかりにはなるのかもしれない
 政治から経済、軍事、外交、エネルギー戦略と満遍なく論じていくのだが、最後のトリはやはりここでも中国。シベリアの人口が700万で、中国人不法移民は数百万という説があるらしいから、外国人参政権だの生活保護だので、中国人に危機を募らせる日本など全く目じゃない話。「抗日記念館」ばかりがクローズアップされる中国だが、国交正常化国境画定にも関わらず、「抗露記念館」の類は国境地帯でまだ健在らしく、黒河の歴史博物館では「愛国主義教育」の展示が施され、ロシア人は出入り禁止なのだという。さすがにロシア人は日本人みたいに、中国の前にひれ伏して許しを請う様なドアホはいない様だ。
 日共も長年モスクワの狗をやってきたけど、スタルヒンが皇国史観に染まっていたなどという話は聞かない。NHKの小林某みたいなプーチン崇拝が未だに存在するのも日本のマスコミの不思議なのだが、こちらの著者は「中華料理も柔道もただの趣味で、私は欧州人の価値観を尊重する」というプーチンの言質をちゃんと伝えている。ただ、グルジアとの戦争についてはロシアに理を認めており、ロシアを「野蛮なアジア」化した「親西欧」の向きには疑問がある様だ。
 今後予想される「新露中対立」の時代に、ロシアが「西欧」でも「アジア」でもない一つの極として中国と対峙できるのかは、ある意味日本が抱えているのと同根の課題なのではなかろうか。


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      添牛内小学校「教育目標」 ●じょうぶな子 ●よく考える子 ●心の豊かな子 ●よく働く子

この記事へのコメント

kuma
2012年07月19日 17:16
添小時代は蓮枝先生のおしえごだったようですね。さすが我が故郷添牛内の誇りですね。医学関係者にもいらっしゃるようですね。道東方面にて地域医療に貢献しているとか同窓生紹介にも記載されていましたね。

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    Excerpt: 添牛内小学校 第49回生 小田健様(著) 「ロシア近現代と国際関係」 この9月「ミネルヴァ書房」から発売されました Weblog: 添牛内Web同窓会 racked: 2017-10-25 03:49