添牛内のあゆみ 「明治期の添牛内」

画像
『大地を拓く』 明治期の添牛内

明治34年3月(1901年)   
・国有林が札幌農学校の雨竜演習林となる。(→東北帝国大学農科大学→北海道大学) のちの北海道大学雨竜演習林。

明治34年4月(1901年) 
・雨竜川左岸地域が一己村に入る。

        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

明治41年 春  (1908年)
・鎌田喜太郎氏、鎌田儀右衛門氏、温根別北線より山越えし、北星原野を発見、入殖申請をする。

明治43年 (1910年)    
・添牛内21線駅てい所(旧小学校あたり)が設置。 幌加内に次いで2番目、初代取扱人は柳谷竹一郎氏。(駅てい所とは、宿場の宿(やど)旅館)

・温根別方面からここに入り、政和や朱鞠内方面に入殖する。人たちに便宜を与え、北部幌加内の玄関口となった。

・8号に42戸、7号に3戸、6号に4戸の移民区画を立てる。

・北星に岐阜団体(鎌田儀右エ門ら)22戸入殖する。

画像

・下村直野之助氏が大学8号(現北星)から添牛内21線、(現在国道添牛内橋付近)の雨竜川渡船に従事する。

・石神又三郎氏ら大曲植民地視察のため入地する。


・雨竜御料地の貸付決定。(北竜村所属)

・その年、添牛内21線以南の御料地に、13戸入殖する。
信州団体、増田逞祐氏、菊地辰三郎氏、今井覚次郎氏、杉原伝次郎氏、田村鉄吉氏、藤崎佐吉氏、西川万太郎氏、竹原某氏、 越後の人、高橋仁太郎氏  大和の人、杉浦音吉氏

・新富に四国の阿波団体、西川要次郎氏ら12戸が入殖する。

・御料地を所管する帝国林野管理局は、雨竜御料地に添牛内保護区を設け、駅てい所近くに駐在員官舎を建てた。  
・翌年初代駐在員、折笠八郎氏が着任する。

・その間、20線に入植していた西川万太郎氏の弟、竹次郎氏留守居番に雇われていたが、各地から視察に来た方々を宿泊させ、食料が尽きて難儀をした逸話が残っている。

明治44年11月(1911年)
添牛内21線から温根別中線間に刈り分け道ながら御料道路が開削される。
画像

明治44年12月(1911年)
・北星(大学演習林8号)で、泰円澄順教氏、説教所「行信寺」を設け、医療活動を始めた。
当時の人からは、「生き菩薩さま」と慕われたそうです。

明治45年5月 (1912年)
・添牛内5線から21線の刈り分け道開削される。昭和3年改修。

・その年、大曲に45戸の御料地入植区画が立てる。
・岐阜2団体、石神治右エ門氏ら、(郡上郡団体16戸)(武儀郡団体8戸)24戸入殖する。


明治45年6月(1912年)  
・北竜村私立添牛内教育所設置申請をする。

明治45年7月1日(1912年)  
・北竜村私立添牛内教育所開校式(小学校開校記念日)


参考資料:添牛内自治区開基100周年記念誌「礎」 幌加内村史 幌加内町史

・添牛内を開拓した先人の足跡をまとめてみました。知らない事が多いな~。
・入殖当初、うつそうたる森林で、隣りなんか全然見えない原野を開拓したと、父親が話してくれたことを思い出す。



      添牛内小学校「教育目標」 ●じょうぶな子 ●よく考える子 ●心の豊かな子 ●よく働く子

この記事へのコメント

kuma
2012年05月17日 06:38
添牛内の開拓史が良く分かりますね。開拓入植者のお名前を見るとき子供の頃お聞きしましたお名前もあり鎌田さん泰円澄さんとか懐かしく思い出しております。当時北星にありました北大雨龍演習林官舎(昭和19年から45年名寄移転まで父親が勤務)育ったので思い出が一杯です、自分は昭和32年に士別へ転校しました。
akana-koh
2012年05月17日 07:14
kumaさんへ
北大雨龍演習林歴代の所長で、吉田様ご存じないでしょうか?
kuma
2012年06月05日 05:57
子供の頃父親が勤務しておりましたので官舎に住んでおりました。当時の所長さんでしたね、たしか何年か前の添牛内校同窓会親睦会に娘さんが出席されていましたよ。

この記事へのトラックバック